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元企業人社労士から見た企業を取り巻く今 ~目標管理編~

2019.12.10

季節は巡り……

 すっかり秋めいてきました。ついこの前までは「暑い! 暑い!」と言い、外出時には大きめのハンカチ(または小さめのタオル)と扇子を鞄に必ず入れていたことを思うと、直感的にも秋という季節が短くなってしまった? と感じてしまいます。そう言えばどこかのメディアに「科学的に見ても、日本の春と秋の期間が短縮化している」旨の記事が出ていましたね。この短い秋が終わると、もう冬支度の必要な年末ですね。人事総務の皆さんにとっては、多忙な賞与支給・年末調整の季節でしょうか? 前回もお伝えしましたが、私自身は30数年にわたる会社員生活の中で、そうした仕事を経験したことがないので、社労士としてクライアントの皆さんが多忙な季節を迎えられても、どこか「他人事」のような……(スミマセン)。

カイシャは仕組みで動くのだ!

 日々企業の皆さんと接していて感じることは、大企業は当然として中小企業においても、流石に「仕組み」が整っているなぁ……ということです。多く(ほぼ全て!)の業務を一人で考え、作り出していかなければならない個人事業主から見ると、組織を整え分業して行われている会社の業務は、一定の設計思想に基づいたシステマティックなものに思えてくるのです(実際そうで、必要に迫られて分業してきた訳ですから)。そこには会社の成り立ちから脈々と受け継がれてきた「歴史」があるからでもあり、一方でこれから(環境の変化に応じて)見直していかねばならない、作業や手続きもたくさんあるのでしょうが……。
 前回のコラムで「(IT業界の)流行語による販売促進策」を振り返り、現在の人事関連システムの乱立(失礼!)に触れ「目標管理システム」もその一つとして挙げました。この目標管理という制度も、素晴らしい仕組みの一つかもしれません。ただし、ちゃんと運用されていれば! という前提ですが。今回は、私自身の会社員時代を大いなる自戒を以て顧み、この目標管理という制度について考えてみたいと思います。

会社を動かす仕組みの一つが「目標管理」

 目標管理 = MBO : Management by Objectivesは今や多くの企業(ある調査によると70%とも言われています)で運用されています。今更申し上げるまでもありませんが、かのドラッカーが唱えた組織マネジメントの概念で、個人と組織のベクトルを合わせ、最終的に個人と組織の目標を連動させようというもので、上司からの押し付けではなく、個人が組織の掲げる目標をどう捉え、それにどんな貢献をするのか? を目標として設定することで、その結果を評価し、評価制度や賃金制度に活かすというものです。今では、組織目標の達成、能力開発、評価・考課への反映ということを目的として使われているようです。
 どんな道具もそうですが、正しく使えば所期の目的を達成できる訳ですが、目的を取り違えたり、理解が十分浸透していなかったりする場合には、効果よりも逆に弊害が見られてしまうことは、往々にして起きてしまいます。例えば、単に組織目標を細分化しただけの目標設定を行い、結果として「ノルマ」を割り振るだけの使い方(営業部門で多く見受けられます)になってしまっていたり、考課だけを目的にし、金銭的なインセンティブにのみ主眼が置かれてしまうような使い方になっていたりというようなケースなどです。本来「内発的動機付け」としてモチベーションのアップを図るべきところが逆に、金銭的な「外発的動機付け」になってしまっていたり、対話を通じて育む「コミュニケーション力」「課題発見力」等の成長支援という側面がポッコリ抜け落ちてしまっていたり……何れも使用方法または運用に際しての(会社・上司側の)理解不足に原因があるものと思われます。

 

今考えると、とても不幸(?)だった私の部下の方々……ゴメンなさい!

 では、翻って自身がどんな運用をしていたのか? に思いを馳せると、空恐ろしい思いがします。正に考課のためだけに目標管理を使っていました。目標設定は半期(6ヶ月)に一度。本来であれば、期初早々に組織目標を示し個々人の目標設定を促すべきところ、個人目標の設定確認のための面談を行うのは、期が始まって2ヶ月目の半ば前後。その時点で既に目標期間の凡そ1/3が経過してしまっていました。面談では、ありきたりで差し障りのない(?)話に終始して、目標の妥当性の確認や、個々人にどんな成長を期待しているのか? という点にまで突っ込んで話をすることまでは、とてもできていませんでした。しかも次の面談は、多くの場合翌期の目標設定面談とほぼ同時期。立てた目標の進捗や、成果のプロセスを把握することもできてなくて、成長支援ができるでしょうか? 専ら、組織全体の構成員の中における順位付けを念頭にした点数付け(※)に終始していたのです。
 ※点数:個々の目標は(重要度 × 困難度 × 達成度)で点数化されており、点数に
     応じた賞与加算が行われていました。

 これじゃ、とても成長を支援するとか、どうやったら目標達成に近付けるか? という議論には至りません。目標設定はしたものの「後はよろしく!」って感じでしょうか……。
 当時、不幸にも私の部下だった皆さん、今更ながらですが本当に申し訳ありませんでした!でも(一部の方は)立派に成長されましたよね!? ダメな上司を「他山の石」として……。
 言い訳になってしまいますが、この運用は私が勤務していた企業においては「正しい」運用方法だったのです。上述のとおり、目標管理制度を使って「賞与査定」「考課査定」を行うことが制度運用として実際に行われていた訳ですから。会社側としては、この制度を「成長支援」や「動機付け」に使ってもらうことを意図していたのは、実際のシートを見れば窺えます。ところが、当初の卓越した(?)思想はどこかに置き去りにされ、時間に追われた結果として、個人の成果を点数付けして賞与査定・考課査定のためだけに使うという運用だけが残ってしまったと言うことでしょう。
 (なお、念のため申し添えますが、私の勤務した電機メーカーは日本において「目標管理制度」を最初に取り入れた企業の一つだったと耳にしたことがあります。その導入に際しては、制度の趣旨を十分周知すべく細心の注意と準備が施されていたと思われますので、もしかすると私一人がその趣旨を理解できておらず、誤った運用をしていたのかもしれません)

 余談ですが、私の勤務した会社が、某大手電機メーカーから分社する前は、6ヶ月に一度の目標管理制度に加えて、一年に一度の「自己申告制度」という制度も併用されていました。ここでは自分の上司と自身の行く末について、個人面談でじっくり話をする機会が設けられていたのですが……。
 分社以降、そうした仕組み・風土は姿を消してしまったようです。これぞ「仏作って魂入れず」の典型で、賞与支給や人事考課のために都合良く制度を運用することで、当初の高邁な思想は葬り去られる、まさに画竜点睛を欠くということでしょうか?

正しい(本来の)運用のために、上司はどうあるべきなのか?

 私自身ができなかったことを棚に上げて申し上げるのは本当に心苦しいのですが、目標管理という制度の正しい運用としては(教科書的な表現になってしまい甚だ恐縮ですが)
ⅰ)適切な(=成長を促すよう、少しチャレンジングな)目標を設定すること
ⅱ)設定目標の具体化を行うこと
ⅲ)適宜適切なフォローを行うこと
ⅳ)客観的・公正な評価を行うこと、及びそのフォローを行うこと

ということになります。これは目標設定する個人だけでなく、直接その業務に関わる上司が一緒になって考えるべきもので、その上司には
ⅰ)(能力を伸ばす意味での)適切な設定目標について、十分な見識を有すること
ⅱ)具体的な活動計画に落とし込むためのリーダーシップを発揮すること
ⅲ)(適切なフォローを行うための)正しい状況判断能力があること
ⅳ)(個人的な好悪に偏らない)高い倫理性を有すること

が求められます。
 「そんな聖人君子のような上司になるよう求められても……」という泣き言が聞こえてきそうですが、もちろんそんなスーパーマンはいませんし、そんな要求をすれば上司の方がメンタルを病んでしまうかもしれません。(そうでなくとも、最近は管理職になることを敬遠する方々もいるようですから、一層拍車をかけることになるかもしれませんね)上司も人間、完璧にこなせる訳はありませんし、それを要求するのは酷かもしれません。ただ、上司としては常に(完璧ではなくとも)最上を求めて刻苦すべきでしょうし、それこそが部下の方々に対して果たすべき、上司の責任なのではないでしょうか? そして何よりこの制度を生きたものとしていくために上司に求められるのは、個々の部下に対する深い愛情を持つこと、これこそが最も大切な資質なのかもしれません。