いまこそ「人的資本経営」に注目が集まる理由【後編】~業界全体の魅力向上と自社の魅力向上が必須
この数年「人的資本経営」に注目が集まっている。改めて「人的資本経営」とは何か。どう実践していけばよいのか。バックオフィス担当者がしなければならないこととはなにか。前編に続き、株式会社リクルートマネジメントソリューションズ HRM 統括部 統括部長 梅田真治氏に解説してもらった。
業界全体の魅力向上と自社の魅力向上が必須
日本では前編にある通り、特に労働市場の変化と人材確保・定着の課題が大きい。
「高齢化により農業や製造業、ここにきて建築業に関する人材不足がニュースになることが増えました。また医療や介護などのサービス業は需要の増加に供給が追いつかない状況に、今後、より拍車がかかっていくことが想定されます。皆さんが実感されている通り、企業にとって人材の確保と定着は必須の課題であり、より魅力的な労働環境を提供しなければならなくなっています」
いまや転職は当たり前で、人が企業を選ぶ時代に入っている。
「加えて、ジョブ型人材マネジメントという考え方に注目が集まっているように、会社ではなく、その“職に就く”という考えが広がれば広がるほど、自社というフィールドでその職を担う意味は何か、が問われるようになります。自社は、求職者・従業員にとってどのようなフィールドとしての魅力があり、どういう機会があるのか、突き詰めて答えを見出していくことが重要になってきます」。
自社独自の人的資本に対する捉え方を示す必要性
こうなると、「人的資本」を「見える化」する必要が出てくるが、では「人的資本の見える化」とは何か。
一つの指標となるのが、2022 年11月に金融庁が公表した「企業内容等の開示に関する内閣府令」における「人的資本、多様性に関する開示(開示府令第二号様式 記載上の注意『 (29)従業員の状況』、『 (30-2)サステナビリティに関する考え方及び取組』及び開示ガイドライン)」だ。人材の多様性の確保を含む人材育成の方針や社内環境整備の方針および当該方針に関する指標の内容等について、必須記載事項として、サステナビリティ情報の「記載欄」の「戦略」と「指標及び目標」において記載が求められており、2023年3月31日以降に決算を迎える企業は、「女性管理職比率」、「男性の育児休業取得率」および「男女間賃金格差」の指標を有価証券報告書等においても記載しなければならなくなった。
「人的資本可視化指針の前提となる構造は、まず経営戦略と人材戦略の連動を意図した人材版伊藤レポートの流れを受けた、人材戦略の明確化・人事プラクティスとの一貫性の向上。もう一方で人的資本情報開示のような投資家を主な対象としたステークホルダーに対しての説明。この2つの観点がミックスされたものとなっています」と梅田氏。
前者の観点においてはビジネスモデル・経営戦略・人材像のような自社らしい独自性あるストーリー、後者の観点においては共通の物差しに基づいた判断ができるような比較可能な指標(例:女性管理職比率、男性育休取得率のような)における現状を明らかにすることが期待されるという。
「独自性と共通性という一見すると矛盾するものを両面期待するという点に、日本における人的資本テーマの特色があり、企業からすると、どうしたらよいのだろうか、という疑問が生まれやすい状況になっています」と梅田氏は指摘する。
「有価証券報告書には、人材育成方針や社内環境整備方針などを記載することが最低限の対応とされていますが、このような方針や指標・目標を提示するための、例えば女性管理職比率などの属性情報の蓄積はすでに進んでいるでしょう。でも、それだけでは不十分です」。
「資本」という概念自体が投資の対象としてみる(可変的なものである)ことを意味しており、誰から見てもわかるような属性の情報はその一部にしか過ぎない。
「人において可変的なものの代表は、仕事経験を中心に培われた『スキル』ということになりますが、では、スキルとは何か、自社が把握すべきスキルは一律なのかというと、そうではありませんよね。職務や職種に固有なスキル、その企業の中で仕事を進めるための暗黙的な了解のような企業特殊スキルなど、実に多種多様です。あるいはエンゲージメントのような概念も人の目には見えない認知状態ですし、Aさんのエンゲージメント数値は誰が見ても100 だ、といったことはありえません。それくらい人のスキルや認知の状態は捉えがたいのです。『把握する』≠『なんらかの定量化をする』ことですが、本来定量化が難しい人という存在を定量化するのは当然難しいのです」
しかもこれが中小企業となると、採用や育成において一貫性がなくなることも多いし、しかも開示義務が課されるのは「有価証券報告書」を発行する約4,000社とも言われる大企業だ。「人的資本経営」は喫緊の課題ではない……と向き合わない中小企業がいてもおかしくない。
ただし、労働人口は急激に減少しており、そのあおりを食らいやすいのも中小企業だ。業界および自社の魅力向上は必須であり、そのための人的資本経営と考えると、取り組んでいく必要があるのは明らかだろう。
人的資本の把握はどう進めるか。難しい“定量化”はサービス活用
では、定量化しにくい「人的資本の把握」は具体的にどのように進めればいいのか。
「まずは把握する対象の設定をすることですね。人材マネジメントの質的向上、あるいは、現状の人材マネジメント上の問題解決を見据えたときに、把握できておらず困っていることは何か? を見つめることこそが、スタートです。例えば管理職要件や、エンゲージメントを自社ならではの構造で把握しようとすると、その要件設定でつまずいてしまうということが起きやすい」と梅田氏。
「360度評価(多面評価)や、エンゲージメント調査に関していえば、把握するためのさまざまなサービスが存在しています。そのような標準的なサービスを活用して、まずは定量化を試みることからスタートしてよいのではないでしょうか」。
ただし、把握を目的化せず、問題解決のためのスタートのための情報把握と捉えることが大事だと梅田氏は指摘する。現時点においては、有価証券報告書等
で定められる制度開示事項以外には、この指標を必ず開示すべし(比較可能性指標)という設定はない状況であり、可視化そのものを混乱なく進めることに焦点を当てるよりは、これまでにないほど人的資本に着目が集まっている状況を好機と捉え、自社らしい人材マネジメントとは何か?自社の人事機能の目的は何か?を定めることにフォーカスしてはどうか?と梅田氏。
「当社では人事機能の基幹となる人事制度設計のコンサルティングサービスを提供させていただいていますが、最初に必ず取り組むことは、『人材マネジメントポリシー』の言語化です。これは、自社は、人材マネジメント機能を通じて、自社の従業員に何を期待し、逆に、何を約束するかを言葉にしたもの。その設定にあたっては、まさに人的資本可視化指針内にもあるように、自社のビジネスモデル・経営戦略・競争優位とその源泉としての人への期待は何か、また、そのような人に魅力的なフィールドとして自社を選んでもらうために、このフィールドで働くことで何が約束できるか、こんなことを考えていくプロセスです。言いかえれば人事機能・人材マネジメント施策全般の目的は何か、ということであり、この目的が設定されさえすれば、一連の施策は一貫性をもって、一貫したストーリーとして従業員の皆さんにも伝わっていくはずです」。
人的資本経営は経営層が取り組まなければならない課題だが、それを支えるのはバックオフィスの担当者たちだ。
「所属する人たちの価値──人的資本の価値最大化のためには、何よりも、一人ひとりを、それぞれ異なる個性を持ち、無限の可能性に満ちた存在としてみることが大切なのではないでしょうか。そのために、従業員のエンゲージメント状況や課題を共有し、コミュニケーションしていくことが重要なのではないかと思います」。