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「イノベーション無きは死」 ドラッカーの言葉に戦慄。「でも、どうすれば?」に応える(前編)

 「イノベーション」があふれている。イノベーションという「言葉」が。広告にもCMにも、書店の十数冊の本にも同語が躍っている。まるでインフレである。
 しかし、言葉は無数にあるのに、実際にイノベーションが多発している感じがしない。政府もイノベーションを促そうとしている(※1)けれど、笛吹けども踊らず、というか「『踊って』いるけれど、『躍って』いるだけ」という状態だ。
 「イノベーション」が嗤っている。
 「吾輩はイノベーションである。中身はまだ無い」と言っている、気がする。
 「イノベーションって何?」と子どもに聞かれてわかりやすく語れる人はたぶん少ない。中身が何なのかが意外にもわからない。なのに、経営の神さまドラッカーが「イノベーションを行わないこと、それは死を意味する」(※2)と言ったり、革新的なサービスが生まれる「さま」を見聞きすると、「イノベーションなしでは、やれない」という気持ちになる。
 今回はそんなイノベーションについて語る。おそらく本稿は、イノベーションにまつわる幻想を消し去るだろう。

『FACTFULNESS』等の流行書に共通する問い

『FACTFULNESS』等の流行書に共通する問い

 さっそくイノベーションの足がかりになる話をする。
 フックになるのは「固定観念」である。
 と言った瞬間、「またその話か」といって本稿から去ろうとする人もいるかもしれない。だが、過去くり返されてきた「その話」は、形を変えて今も世に出され、読者を惹きつけている。
 『FACTFULNESS』(以前拙稿でも触れた)という流行書がある。「私たちが信じている事実(?)とデータに基づく事実は全然違うよ」という本書のメッセージ(※3)は、人が固定観念に強く縛られ、かつ新しい情報を得ても観念の「固定」を簡単に解こうとしないことをうきぼりにした。
 また、同じく流行している『メモの魔力』では、メモ同士の偶然の出合いを重視している(※4)。メモ書きは断片的だ。「うどん、辛すぎ」とか「このチューハイ、底にアルコールたまりすぎ」といった時間も空間も異なる場所でつくられたメモ同士が――それこそ「これ、何のメモだっけ?」的なもの同士が――偶然の照らし合わせによって化学反応を起こし、新規的な発想に結びつく。それが既成の考えを破るかもしれない。
 この2つの書は、実は同じことを問うている。それは「固定観念からの束縛に、どう応じるか?」という問いだ。多くのビジネス書もこの問いを共有している。そして、この問いがイノベーションにとって重要となる。
 「デザイン思考」で有名なトム・ケリーは「固定観念や先入観にとらわれては真のイノベーションは生まれません」(※5)と語った。彼は、イノベーションをしたいなら固定観念を「ほぐす」べきだと主張する。

「ふつう『に』考えよう」から「ふつう『を』考えよう」へ

 そもそもイノベーションとは何か。経済学者シュンペーターはイノベーションを「慣行軌道の変更による重心の移動」(※6)とした。
 難解である。
 私にはよくわからない。
 なので、試みに「イノベーション入門」的な本を数冊参照した。
 イノベーションとは、価値観やルールを変えて新しい価値をつくることと言い換えられるらしい。「今までにないアイデアで変化を起こすこと」がイノベーションだ、という話もある(※7)。要点は「私たちが仕事などで『ふつう、こうだよね』と、重きを置いて行動してきた(=慣行)、その『ふつう』を変える」ところにある。私なんかは「iPhone」の華々しいデビューをいまだに想起するが、いわゆる「技術革新」もそうだし、さらに言えば、同語にはもっと広い意味もある。
 そして多くの経営理論や知的営為が示してきたとおり――先のトム・ケリーや、また経営学者クリステンセンも「優れたイノベーターは、世界のいまの姿を最良の判断材料として今後の世界を予測するのではなく、固定観念にとらわれずに、もっといい方法がなかったかと模索する」(※8)と述べているとおり――固定観念がイノベーションを妨げる。
 それゆえにイノベーションをめざすなら、私たちは「ふつう『に』考えよう」ではなく「ふつう『を』考えよう」でいかなければならない。ふつうという価値、固定的な観念をラディカルに再考すべきだ。

誰もがもっている固定観念。それはとても見えにくい

 固定観念のない人はいない。その固定観念は、しかし存在感が薄い。
 知らないうちに私が「女性はこうあるべき」との固定観念にとらわれていたことは以前のべた。固定観念は意識されにくい。「年配者はパソコンが苦手」「女は管理職に向いていない」といったものはまだ存在感があるかもしれない(?)が、たとえば外国人が日本人に対し以下の「Why?」を抱いていることはご存じだろうか。外国人の「日本あるある」だ。
 「なぜ、サインではなく印鑑なの?」
 「職場で寝る人いるけど、それ許されるの?」(国によってはそれでクビになることも)
 「ゴミの分別ルールがたくさんあって捨てるの大変なのに、なぜお菓子等の包装が過剰なの?」
 「ビニール袋、多すぎでは? 傘を入れるビニールまであるって……」
 「なぜ、やたらとバック駐車しようとするの?」(※9)
 これらに普遍性はないかもしれないが、こういった疑問をもつ人がいて、日本人が案外それに気づいていないことは知っておいた方がいい。意識されにくい「ふつう」の事例である。
 昔、テレビ番組でこんな実験が紹介されていた。
 白いチョークで黒板にちょんと跡をつける。で、被験者に「これは何?」と問う。大人はみな(確か30人中30人が)「白い点です」と答える。ところが3歳くらいの子どもたちに同じ質問をすると、誰一人「白い点」とは答えない。「キリン」とか「テントウムシ」と答える。カオスである。
 そう、つまり大人は、黒板上の「跡」を、白い点「として」見ているのだ。なかばそれがルールであるかのように、白い点「として」見るよう振る舞っている。
 ほぼ気づかれないけれど、この「~として」が固定観念である。幼児たちは、その観念の固定的な「枠」をもたないため(たぶん)に、黒板の「跡」から自由な連想を始めた。
 先日、小学生の子が旅先でふれた「海」を絵に描いた。私はたまたまその手伝いをした。
 で、その子が海に色をつけ始めた時のこと。私は「あれ?」と思った。海を「青」で色づけしたのだ。私は思わず「なぜ?」と問うた。その子はこう答えた。
 「だって、海は青じゃん」
 しかし、である。私は、その子に記憶をたどらせた。「ホントに海は青かった?」。私は、絵の具の色を何種類か並べて、「君が見た海に、いちばん近い色はどれ?」と聞いた。その子はそこで何かにハッとし、「そう言えば」とつぶやき、別の色で海をぬり変えた。
 私が人生で見てきた海のなかに「青い海」は、ほぼ無い。たとえば、東京お台場の海は「黒」に近い。伊豆や湘南の海だって青くはない。しかしその子は、海を青いもの「として」見ていたのである(ということは別に悪いことではないし、特段その子の何かをそれ以上は指摘しなかった)。
 「~として」という認識の鋳型は固定観念となり、私たちに影響を与えている。

固定観念のレールの上でなされるアウトプット

固定観念のレールの上でなされるアウトプット

 「虹の色はいくつですか?」
 そう聞かれた時、何と答えるだろうか。日本人なら「7色」と答えると思う。絵に描かせれば、多くは7色の虹を描く。日本人にとってそれが「ふつう」だとされているからだ。
 しかし、たとえばアメリカやイギリスなどの英語圏の人は大抵、虹を6色と見る。ドイツ人の多くは5色と見る(※10)。ショナ語を使う人は3色、バッサ語を使う人は2色と見る(※11)。
 虹の見方は、一様ではない。
 しかも、虹を語ったり描いたりするアウトプットも各圏で異なる。英語圏の人が6色で虹を描くように。
 「太陽」もそうだ。日本語で育てられた子どもの多くは、お日さまを「赤く」まるく描く。一方、英語で育てられた子どもは「黄色」で描く。中国人のかなり多くの子どもは「白」で描く(※12)。
 おそらく、子どもたちがインプットした瞬間の虹や太陽の視覚情報は、同じだ。けれど、それを何かに表した途端、認識の違いがあらわになる。なぜなら、「虹とはこういうもの」「太陽とはこういうもの」という固定観念が各圏で異なるからである。知覚されるものが同じでも、異なる固定観念のフィルターを通過すれば、アウトプットに差が出てしまう。上記の子どもたちの事例は、それを端的に物語る。
 アウトプットは、固定観念が敷いたレールの上で基本なされる。先にふれた「海といえば青」という固定観念は、実際には「青でなかった」海を「青かった」と“誤認”させ、そのまま表現としてリリースさせた。この強制力は強い。
 ビジネスの世界でも、同じことが起きている。固定観念の延長でしかない言説が、たぶん企業の「イノベーション推進室」等でくり出されている。厳しいけれど、固定観念をはみだす創造的なアウトプットは、固定観念を「ほぐす」営みがない限り生まれにくい。あたかも、本来のパフォーマンスを発揮できない緊張しきりのプレーヤーが、緊張のほぐれによって地力を取り戻すように、イノベーションもまた固定観念のほぐれによって起こる。
 では、どうすれば観念はほぐせるのか。【後編】に続く。

[脚注]
(※1)「内閣府」ホームページから
     https://www8.cao.go.jp/cstp/
(※2)西口尚宏ほか『イノベーターになる』日本経済新聞出版社、2018年で紹介されていた
(※3)ハンス・ロスリングほか『FACTFULNESS』上杉周作ほか訳、日経BP社、2019年
(※4)前田裕二『メモの魔力』幻冬舎、2018年
(※5)「IDEOが教える『イノベーションを生む秘けつ』」Cnet Japan
     http://japan.cnet.com/interview/20187087/
(※6)J・A・シュムペーター『経済発展の理論』塩野谷祐一ほか訳、岩波文庫、1977年
(※7)澤円「イノベーションを探し回る日本人が諸外国で『お断り』される理由」MAG2NEWS、要旨
     https://www.mag2.com/p/news/414144
(※8)クレイトン・M・クリステンセンほか『ジョブ理論』依田光江訳、ハーパーコリンズ・ ジャパン、2017年
(※9)「日本人が気づいていない『日本の変なところ」20選」BuzzFeedNews
     https://www.buzzfeed.com/jp/kylaryan/japan-weird-things 等々
(※10)高橋昌一郎『感性の限界』講談社現代新書、2012年
(※11)池田清彦『構造主義科学論の冒険』毎日新聞社、1990年などから
(※12)鈴木孝夫『日本語と外国語』岩波書店、1999年