「休めない」だけではなく「言い出しにくい」――介護両立支援制度の利用を阻む心理的抵抗の壁【介護と仕事の両立を阻む「4つの壁」とは Vol.5】
超高齢社会の進行とともに増え続ける「ビジネスケアラー」。その支援は、もはや福利厚生の一施策ではなく、企業の持続性を左右する経営課題です。2025年4月の法改正を受け、制度整備が加速する一方で、現場では「制度はあるのに使われない」という深刻なギャップが浮き彫りになっています。
このコラムでは、株式会社Works Human Intelligenceで制度設計や人事業務改革に携わってきた眞柴亮氏が、利用を阻む「4つの壁」の正体に迫ります。企業調査から見えたリアルな実態をもとに、支援策を単なる「形」で終わらせず、組織の力へと変えるための具体的な道筋を全6回の連載で示していきます。
はじめに
2025年4月の法改正により、企業には介護離職防止に向けた雇用環境整備が義務付けられました。しかし、制度の整備が進む一方で、「制度はあるが使われていない」という課題が多くの企業で共通して見られています。
Vol.1では、Works Human Intelligence(以下、WHI)が実施した大手企業人事向け情報交換会およびアンケートをもとに、介護両立支援制度が整備されていても現場で活用されない実態を取り上げました。
その議論から見えてきたのは、制度そのものではなく、「利用を阻む構造的な壁」の存在です。
本シリーズでは、これを次の「4つの壁」として整理しています。
・壁①:情報が届かない「デジタルデバイドと自分ごと化の壁」
・壁②:管理職世代が直面する「キャリア・評価の壁」
・壁③:休業が現実的に難しい「金銭的不安の壁」
・壁④:言い出しにくさが残る「心理的抵抗の壁」
これまで、制度の認知不足やキャリア・評価への不安、金銭面での懸念について取り上げてきました。
しかし、それらの課題を解消し制度を整えたとしても、従業員が必要なタイミングで相談できなければ、制度は十分に活用されません。情報交換会でも、「制度は整えたものの相談がなかなか上がってこない」「制度の利用対象と想定される従業員がいるものの、実際の利用に繋がっていない」といった声が聞かれました。
本稿では、この最後の壁である「心理的抵抗の壁」に焦点を当てます。従業員はなぜ介護について相談することをためらうのでしょうか。そして、企業はその壁にどのように向き合えばよいのでしょうか。
心理的抵抗の壁 ~制度は知っている。でも相談できない~
介護は、多くの場合、ある日突然長期休業が必要になるわけではありません。通院への付き添いやケアマネージャーとの面談、家族との役割分担などを通じて、少しずつ仕事への影響が生じていきます。
本来であれば、この段階で上司や人事へ相談できれば、制度の活用や働き方の調整など、さまざまな選択肢を早い段階から検討することができます。
一方で、情報交換会では、
・制度は整っているが相談がなかなか上がってこない
・制度の利用対象と想定される従業員がいるものの、実際の利用に繋がっていない
という課題が多くの企業から共有されました。
また、制度を利用する従業員側の心理としても、
・まだ相談するほどではないと思ってしまう
・家庭の事情をどこまで職場へ伝えればよいか分からない
・周囲へ迷惑を掛けるのではないかと感じる
・自身の役割や責任を考慮すると相談しづらい
といった不安が挙げられています。
制度を知らないから利用しないのではなく、相談するタイミングや職場への伝え方に迷い、結果として相談が遅れてしまうケースも少なくないようです。
制度だけでは埋められない「相談までの距離」
人事担当者からは、「早い段階でご相談いただけていれば、より多様な選択肢を提案できたかもしれない」という声も聞かれます。一方で、人事が制度を整備し、社内周知を進めたとしても、それだけで相談につながるとは限りません。
例えば、
・上司が忙しそうで話しかけづらい
・家庭の事情を職場で話す雰囲気がない
・制度を利用した前例が分からない
・誰へ相談すればよいか分からない
こうした状況では、制度が整っていても相談への一歩を踏み出しにくくなります。情報交換会でも、「相談しやすい雰囲気づくりが重要」という声は多く聞かれました。
制度の利用を促進するためには、制度を整備し情報を届けることに加え、「困ったら相談してみよう」と思える環境づくりも重要な要素の一つと考えられます。
上司・人事・本人が一緒に考えられる環境へ
介護について最初に相談する相手は、多くの場合、直属の上司です。
しかし、介護の状況は家庭ごとに異なり、その場で上司が最適な対応を判断することは容易ではありません。また、上司だけでは制度の運用が分からず、人事だけでは現場の業務状況を把握しきれないこともあります。
そのため、情報交換会でも、「上司が一人で抱え込まず、人事と連携しながら対応することが大切」という声が聞かれました。
実際に、ある企業では、介護経験のある管理職が自らの経験を社内で共有しています。介護は特別な人だけの出来事ではなく、自分事として直面する可能性のあるライフイベントであることを発信することで、部下が相談しやすい雰囲気づくりにつなげています。
また、介護によって定期的に職場を離れる必要が生じた管理職に対し、業務分担や役割を柔軟に見直したケースもありました。本人だけが負担を抱えるのではなく、周囲が役割を分担し、状況に応じて仕事の進め方を調整することで、介護と仕事を両立しながら、無理なく自身のキャリアや役割を継続できる環境を整えています。
こうした取り組みに共通しているのは、新たな制度を設けたことではなく、本人・上司・人事が状況を共有し、「今の状況でどうすれば働き続けられるか」を一緒に考えている点です。
制度だけでは対応しきれない部分を、日頃の対話や職場での支え合いによって補っていく。情報交換会で多く聞かれた「相談しやすい雰囲気づくり」とは、このような積み重ねを指しているのかもしれません。
制度を活用してもらうために
今回の情報交換会では、「制度は整えたものの、利用につながらない」という課題を、多くの企業が共通して抱えていることが分かりました。
その背景には、制度を知らないことだけではなく、「相談するタイミングが分からない」「家庭の事情をどこまで職場へ伝えればよいか分からない」といった心理的なハードルもあります。
こうした課題を考えると、制度を整備し、情報を届けることはもちろん重要です。一方で、制度を必要とする従業員が適切なタイミングで相談できる環境を整えることも欠かせません。
例えば、制度利用が決まっていない段階でも相談できることを継続的に伝えることや、上司と人事が連携しながら本人の状況に応じた働き方を検討することも、その一つの方法でしょう。
また、介護は一人ひとり状況が異なり、必要な支援も変化していきます。そのため、「制度を利用するか、しないか」という二者択一ではなく、その時々の状況に応じて働き方や業務の進め方を柔軟に調整していく視点も求められます。
制度を利用すること自体が目的ではありません。介護を抱えながらも働き続けられる環境を整えることが、本来の目的ではないでしょうか。
おわりに
本シリーズでは、介護両立支援制度の利用を阻む「4つの壁」として、「情報」「キャリア・評価」「金銭」「心理的抵抗」の4つの視点から整理してきました。今回取り上げた心理的抵抗は、制度があっても相談につながらないという、多くの企業が共通して抱える課題でもあります。
一方で、情報交換会では、管理職が自身の介護経験を共有したり、本人・上司・人事が一緒に働き方を考えたりするなど、制度だけではないさまざまな工夫も共有されました。こうした取り組みに共通しているのは、「制度をどう増やすか」ではなく、「制度をどう使えるようにするか」という視点です。
制度を整備することと、相談しやすい職場風土を育てること。そのどちらか一方ではなく、両方に取り組むことで、制度は初めて「使える制度」として機能します。
介護は、誰もが将来直面する可能性のあるライフイベントです。だからこそ、人事だけ、管理職だけ、本人だけが抱え込むのではなく、それぞれの立場で支え合いながら、「困ったときは相談できる」「働き続けられる」と感じられる環境を整えていくことが、介護離職を防ぎ、多様な人材が活躍できる組織づくりにつながるのではないでしょうか。










